永代橋と富岡八幡宮の悲劇
富岡八幡宮で弟が姉の宮司を刀で斬殺し、自殺するという凄惨な事件が起きた。富岡八幡宮といえば江戸時代、深川八幡宮の名で庶民にもっとも親しまれた神社の一つであった。今でも深川の名所として参詣客も多く、祭礼ともなれば、20万人が詣でるという人気の場所である。そこでの、骨肉の争いでの凄惨な事件となれば、世間の注目を浴びる。しかも、斬殺した側の弟の遺書らしきものに「怨霊となって呪う」なる文言があれば、「何だ、なんだ!」と穏やかならざる心境にもなろう。
日本の三大怨霊といえば、菅原道真、平将門、崇徳天皇とい千年前の話である。いずれも死後、怨霊となって世間に災いをもたらしたというので「怨霊伝説」が流布されたが、今回の事件は単に内輪の争いで、怨霊となるほどの玉ではない。単なる迷惑話だろう。
富岡八幡宮がらみで「呪い」があるとすれば、200年以上も前の文化四年(1807年)8月19日の永代橋の崩落事故で、だろう。もっとも、富岡八幡宮に責任はなく、今回の事件とは無関係である。永代橋は元禄13年(1700年)、徳川綱吉が50歳の誕生日に東叡山の中堂建立の余材をもって深川佐賀町と北新堀町(現・箱崎町)の間に架けさせた橋で、長さ110間(約200m)、幅3間余(約6m)、隅田川のもっとも下流に架けられた橋である。汐の関係で、橋脚は三丈余(3m強)と江戸の橋の中でももっとも高さのある橋で、舟の行き来も多いことから、破損も激しく何度も架け替えをしたとあり、享保年間には幕府は取り払いを命じたが、近隣の町々が請願して町請負により残された。
それが深川八幡宮の祭礼に集まる群衆の重みによって崩落、「男女133人溺死、そのほか怪我人多あり」(町方書上)とあり、それにより「橋の請負人三人は入牢のうえ、遠島を申し付けられた(うち一人は入牢中死亡)」(同)したという。もっとも、この事故の原因は、橋の下を紀州のお姫様が舟で祭礼に向かうため、群衆を橋止めし、その後一斉に橋を渡ろうとしたため、起こったといわれる。深川八幡宮には「江戸名所図会」に舟着場も描かれていることから、舟で直接祭礼に向かおうとしたのだろう。
事故にまつわるエピソードはたくさんあるが、この伝でいけば、呪われるのは紀州家であって、深川八幡宮ではない。となれば、今回の事件、単なる内輪の憎悪劇にすぎないだろう。


